私はこれを「小さな災害」と呼びたい
北海道で大雪が降る。電車が止まり、人が慌てる。
でも数日経つと、話題は消える。毎年起きているから。想定内だから。だから、災害ではないことにされる。
本当に、何もなかったのだろうか。
【整理すると、消えていく】
トラブルが起きる。誰かが先回りし、予定を組み替え、対応する。結果、日常は回る。
すると、「問題はなかった」「最初から大丈夫だった」そんなふうに見える。
整理されるほど、過程は消えていく。
これは、人の認知の癖としてよく知られている話でもあるらしい。うまく処理された問題ほど、問題として認識されなくなる。成功した予防は、何も起きなかったことと区別がつかない。
【なかったと勘違いする】
被害がゼロだと、コストもゼロだったことにされる。
でも実際には、小さな散らかりを戻し、小さな家事を片づけ、小さなトラブルを先に処理している人がいる。その積み重ねで、「何も起きなかった日」が作られている。
こうした先回りの仕事が見えにくくなりやすいことは、防災やケアの分野でも語られてきた。備えが万全であればあるほど、備えの必要性は忘れられる。丁寧なケアがあればあるほど、ケアの存在は透明になる。
【拾わされる構造】
拾っているのは、必ずしも同じ人とは限らない。
でも、拾わされやすい位置はある。
空白に落ちた仕事は、余力がありそうに見える人、断らなそうな人、一度拾ったことのある人に寄せられる。拾っていない人には、その存在自体が見えない。
見えているものは人それぞれだ。でも、拾った人にしか見えないものがある。
それは、何も起きなかった理由だ。
【私はこれを「小さな災害」と呼びたい】
だから私は、これを「小さな災害」と呼びたい。
制度上の災害でなくてもいい。大きな被害が出なくてもいい。
小さな散らかり。小さな家事。小さなトラブル対応。放っておけば崩れるものを、誰かが拾い続けている状態。
それは派手に壊さない。ただ、同じ場所を少しずつ削る。
大雪のたびに誰かが早起きして雪かきをする。電車が止まるたびに誰かが代替ルートを調べて連絡を回す。小さな予定変更、小さな気遣い、小さな我慢。一つひとつは些細でも、積み重なれば確実に何かを削っていく。
でもそれは「災害」とは呼ばれない。「対応できた」という成功の物語に回収されて、消えていく。
【何もなかったことにしたくない】
何も起きなかった日は、本当に何もなかったのではない。
整理され、消え、なかったことにされた過程がある。
私はそれを、なかったことにしたくない。
小さいからこそ。何度も起きるからこそ。拾われ続けるからこそ。
だから私は、これを「小さな災害」と呼ぶ。
見えなくなった労力を、名前をつけることで可視化したい。拾い続けている誰かに、「あなたが拾っているものは、確かにそこにある」と伝えたい。
そして、拾っていない人にも知ってほしい。何も起きなかった日の裏側に、誰かの小さな災害対応があったことを。
実家の片付けを振り返る(過去と未来をつなぐ記録)
これは、今からちょうど10数年前、私が実家の大規模な片付けに着手した時の記録です。
第1話:プロローグと最初の小さな一歩
プロローグ:北海道の広い実家と、片付けの必要性
最初の小さな反乱:裏玄関の道の不用品
ただ捨てる、それだけでスッキリ
なぜ、家族は動いたのか?
第2話:母の参戦と地下車庫の遺物
母の参戦:連鎖する「気持ちよさ」
地下車庫:不用品の山と「気持ち悪い」遺物 ※虫注意
第3話:父の行動と片付けの波の最高潮
事業空間と生活空間の交互作戦
父の行動:苦手な片付けと「新しいもの」への意欲
片付けの波、最高潮へ
最終話:空間の心理と、片付けがくれた未来
空間の心理:怖かった場所が、怖くなくなった
事業空間の「捨てる」判断基準
10数年後の考察と、片付けがくれた未来
片付けと私の夢
ホットクック2台体制の魅力
ホットクックを買い足して、2台体制にしました!
1.6LのGシリーズをメルカリで中古購入したのですが、1万8,000円ほどだったわりに状態がとても綺麗で、大満足の買い物になりました。元々持っていた1台目の「KN-HT99A」は、これまで愛用してきたものです。
性能の進化
- 火力が上がっている: 調理がよりスムーズになった印象です。
- パーツが軽い: 一つひとつのパーツが軽量化されていて、洗う時などの取り回しが格段に楽になりました。
- 操作性の向上: 手動調理のバリエーションが増えていて、操作もしやすくなっています。
古い方のホットクックはスープバー状態に
絶対に失敗しないから
出し惜しみしない
最近、考え方が変わったことがある。
自分が自然にできることは、他人も自然にできることではないので、
自分の得意なことは出し惜しみしなくてもよいのではないか、と思うようになったのです。
「ちょっと得意」程度のことでも謙遜するのではなく。
得意なんだからどんどんさせてちょーだいね!まじやらせてくれて感謝!
その代わり苦手なことはひとに頼る。
全然得意だよって人に喜んでやってもらう。
もうそれでよいのではないかと。
良い意味で吹っ切れた気がする。
フィールドオブドリームスの夢
スゲーひと
大学の部活OBに、仕事場の隣に空手道場を作った方がいた。
会報か何かで「フィールドオブドリームスなんだよ」的なことが書いてあった。
場所があれば仲間が集まってくる、と。
SUGEEE!と思っていたが、
なんか最近、そういうのやっぱいいよね、って思う。
十数年前の出来事なのにね。
そんで北海道に帰ってきて、自宅に空手道場をもっている先生の道場に通っているわたくし。不思議だね。
自分のフィールドオブドリームスがあるのなら
もし自分のフィールドオブドリームスがあるのなら
そんな場所があったらサイコーだね!
そんで、
いいねいいね!!
それでも、やってみたいのである
空手の組手は苦手すぎて教えられないけど
クイズは作問できない(正確にはやったことない)けど
最近のヅカは追いきれていないけど
てかまだ場所もないけれど
いつかやってみたいのである。